徒然。

理想と現実と

梅の花 一輪咲いても 梅は梅

新しい元号がついに発表されましたね。「令和」、めっちゃ良い。結構好きです。由来が万葉集っていうのも結構心を揺さぶられるというか。

「初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」

が元の歌なわけなんだけど、和歌の見方がわからないから完全に独断で解釈してみんとてすなり。もしかしたら同じような解釈をしている先行研究も沢山あるんだろうけど、ウチのゼミの先生が「結果的に同じ結論にたどり着いたのだとしても、自分で考えたのと他人が考えたのでは全く違う」って言ってたので許して。

 

まず「初春の令月」という言葉。時期は初春、時間は夜。ここからは朧月を連想することが出来る。だから自然と次の「風」は春一番の強い風になるんだよね。初春なので。そんで、これが和らぐと。仕上げに梅とか蘭とかが咲いて春だねぇって言ってるんだね。

さてさて、仮にそういう意味だととったとしてここからはこじつけに近いんだけど(もしかしたらこれも記者会見で話してたかも。発表されてすぐ見なくなっちゃったからよくわかんないです。ゴメンなさい。)、朧月(「令月」)は先行きの見えない未来への不安の暗示、「風」は地震など平成に起こった大災害の暗示だとすると、それらを「和らげたい」という願いが密かにこもってるのかなって思った。だから「令和」。前向きでいい名前。だと思う。わかんないけど

 

官房長官とか安倍首相は「文化の振興を願ってこの元号にしました」みたいなこと言ってるんだけど、じゃあ文化ってどうやって振興していくの?って話。

例えば古代から中世の転換期。藤原政権が揺らいで動乱が起きてた時、文化は振興した?

例えば戦国時代。文化は振興した?

例えば戦時中。文化なんてそんなものやってる余裕ないよね。

文化が栄えた時期を見ていくとどこもある程度生きる余裕があって、さらに世の中を楽しむために栄えてったというふうに読み取れるんだよね。(文明は戦争によって栄える面が大いにあるけども)

 

平成という時代、戦争はなかったけど災害続きだった。その中でもインターネットの普及という文明の利器によってある程度新しい文化が沢山生まれた。生きる気力を失っても大好きなものを大事に持っていればメンタル的に生きていけた時代。

でもそんな時代、長続きしないよ。色々生きるのが限界なのに心をなんとか生かしてなんとか浮世に留まってるなんて、そんなの半分くらい幽霊だよ。

例えばアニメ。今や世界中から認められる日本の文化だけども、現実はどう?低賃金長時間労働で疲弊したアニメーターがどんどん業界から離れていってる。

外国人(特にアジア系)労働者を奴隷のように扱って、失望した労働者が中国や韓国に流れていってる。日本の労働者だって奴隷のようになってる人達は多い。しかも法律がどんどん労働者に対して厳しくなってる。

性犯罪は不起訴になる。色んな事件の被害者を責める。国のデータは改ざんされる。

 

こんな国でどうやって文化が発展すんの?笑っちゃうんだけど。

別にね、アベがどうの、とかそういうことが言いたいんじゃない。確かに今の政治は酷いけど。でもそれに迎合する人が数多くいることの方がよっぽど酷い。「じゃあ他に候補があるのか」とかさ、うるさいんだよ。あのね、完璧な指導者なんて居ないです。カエサルもナポレオンも最初はいい印象だったのに最後は殺されたり流刑になったりしてる。

だからもし、現状を打開したくて、でも他に候補がないなって思ってる人はぜひ候補者の主張とか政党の主張とか色々調べてほしい。打開する案なんて出してなくても、今の政治のどこを批判してるのか見てほしい。

「そこに入れて失敗しちゃったらどうするの?」って思うかもしれないけど、失敗したらその都度政治に口出してけばいいじゃん。なんで1回選んだら任せっぱなし、みたいな思想になるの?そんなに受身になってたらただの「衆愚政治」でしょ。どんな政権になってもそんな姿勢じゃ良い世の中にはならない。

もちろん現状維持を望む人は引き続き与党に票を入れればいいだけだし。

ね、選挙簡単でしょ?世の中変えるのだってきっと思ってるほど難しくない。

 

「梅は鏡前の粉を披き」とは言うけども、梅の花が咲いたところで春は来ない。だから私はこの歌を返歌として送ります。

梅の花 一輪咲いても 梅は梅」

これ、土方歳三のクソダサ俳句だけども、今の現状にピッタリというか。

 

梅が咲いて、ただ咲くだけじゃなくて、気温が暖かくなって、桜が咲いて、草木が芽吹くことを祈ります。