徒然。

理想と現実と

夢の浮橋

キーコッコの余韻が全然冷めやらないので徒然に書き連ねていきたい。

本当はMCで言いたかったことが沢山あって。あんだけ喋ってても全然物足りないくらい色々あったの。だからセトリ順で色々書いてく。

 

①My Funny Valentine

MCでも言った通り、100年先でも自信を持って「世界中の音楽の中で一番好きな曲だ」と言えてしまうくらい好きな曲。それもChet Bakerのテイクが。

Chet Bakerのこともみなさんご存知の通り本当に好き。どのくらい好きかって、「Chet Bakerが亡くなってて良かった」と思えてしまうくらい。生きてたら私今頃あの人のことを追いかけてアメリカでもイタリアでもどこへでも行ってしまうし、同じタバコ、同じドラッグを吸ってしまっていたかもしれない。本当にそのくらい好きなの。

そのくらい好きな人が好きな歌を私も好きでずっとずっとやりたかったし、やるならあのメンバーとでしか有り得ないと思った。別にみんなバラードが好きとかChet Bakerが好きとかでは全然ないけど、私のやりたいこと全部反映してくれるのはあのバックの人達だけだと思ったから、メンバーが決まった時点でやることを決めた曲でした。

ベースラインもほぼ完コピさせたし(本当にごめん、理想どおりの最高のラインでした)、終わり方も「普通のバラード」っぽくない要求して叶えてもらった。倍テンの位置やソロの位置も「普通のバラード」にだけはしたくなくてこだわって決めた。

Chet BakerのたくさんのテイクをRemixしてアレンジした私のMy Funny Valentineでした。

OBさんや先輩からも「My Funny Valentineめちゃくちゃ良かった」ってたくさん言ってもらえて本当に嬉しかった。でも本当はもっといいソロ吹きたかったのでそこが悔しい。悔しさをバネにもう1回、もあるかもしれないけど、今のところもう一生本番でやろうとは思ってない。ほかの人たちとこれ以上いい演奏をできる気がしないので。

とても大切な思い出になりました。感謝しかない。

 

②Coming Home

この曲の説明を大幅に省いてしまったんだけど、これピアノの人が出してくれた曲なのよね。私が出した訳じゃなくて。でももともとJustin Kauflinもこの曲もめちゃくちゃ好きだったし、ほかのメンバーもすぐ「やりたい」と言ってくれて、やることが即決まった曲です。

ただ、正直難しすぎて途中で変えようか迷った。そもそも音源ギターカルテットだからトロンボーンで合うかもわかんないし...というふうに。でも結果、やって良かったなーって思ってます。

これ自己肯定感低すぎなのかもしれないけど、バックの人達が本当に素晴らしすぎて、なんならトリオでやる枠1個作ってもいいんじゃ...?って思ってたくらい自分いらないなーと思ってて、その中であの素敵なバックの人達の良さを全面に出せる曲ってこれくらいしかないなーって。今回やった4曲の中だとダントツでコンテンだし。本当にやって良かった。

 

③Peri's Scope

ずっとずっと好きだった曲。でも最初からやる予定じゃなくて、もともとStella By Starlightを3拍子でやる予定だったんだけど、最初のバンド練で「なんか違うなー」ってなって、なんかいい曲ないかなってすたぼんペラペラしてたらたまたま目にスっと入ってきた曲。「んーこれ微妙。んーーこれ違うな〜〜」ってやってる中でスっと「これじゃん」ってなった曲。しかもこれにしたおかげでセトリが一気にバチッとハマった。

さらにこの曲に決まって次のバンド練で既にキメが一発で合うっていう。何の心配も要らなかった。すごいの本当に。

Bill EvansChet Bakerと同じで高校生からずっと好きだったアーティストで、私の性癖グイグイ歪めてった人なので、今回やれて良かった。

 

④K-4 Pacific

これは割と最近好きになった曲なんだけど、ドラムの人にこの曲キーコッコでやりたいと思ってるって言ったら「これやるならバンド乗りたい」と言ってくれて、それがきっかけであのバンドでまた出ることになった、という曲です。まぁもともと今年も組む予定ではあったんだけど、後押しになったよね。

3拍子が好き、変拍子も好き、モードが好き、という私にとってもう最高の曲でした。全然出来なかったけど!全然出来なかったけど!!!悔しい。でも最高なピアノソロとドラムオープンが聞けたのでそれは嬉しかったな。

去年もこのバンドでImpressionsやって本当にボロボロで、今年こそモーダルでアップテンポなソロ吹けるようになるって頑張ったけどやっぱり難しかった。ただでさえ速いの苦手なので余計に。悔しいな〜でもモードの曲は世の中に溢れているので卒業までにガンガン吹けるようになりたいな。自分の今1番の目標かもしれない。

 

ほかにも3管楽しかったとか、1年バンドで全然基礎が身についてないことがわかったのでど反省とか色々あるけど、やっぱ自分のリーダーが1番力入れてたし1番好きなセトリだったからそればっかり書いちゃうね。

もうあのメンバーとやるの無いんだなーってすごく虚脱感がすごい(日本語)から新しいバンドとか今あんまり考えられないけど、やっぱりカルテットという編成が好きな以上ちゃんとしっかり考えていかなきゃなーって思う。同時にライトに色々な人とバンド組んでみたいなーとも思ってるので合宿とかの機会かな。

 

キーコッコ本当に楽しかった!!切り替えていく人がそろそろ増えてきていると思うけど私はもう少しロスを楽しむことにします。

月は綺麗だけど

「月が綺麗ですね」という一節を"そういう意味"で使う人が昔からダメで、中秋の名月の日が来る度にいつも参ってたんだけど、最近なんとなく何故ダメなのかの理由がわかってきた。もちろん個人的なただの感情論なので、好き好んで使ってる人は「ひねくれてんな〜」と思ってくれればそれで良い。

 

さて、まず"そういう意味"とは"I Love You."の意味なんだけれど、これは夏目漱石の『三四郎』のシーンで"I Love You"の和訳をどうするか、という流れで「月が綺麗ですね」が出てくるというところからある種の暗号としてネットで広く使い出された。

 

もちろん初めて知った時はとても綺麗だと思った。何故かと言うと、これは私なりの「月が綺麗ですね」の使い所の解釈なんだけど、おそらくどうしようもなく好きな人とどうしようもなくなにか話がしたくて、だけど何も話題が思い浮かばなくて、結局無難で何の中身もない天気の話題が出てきてしまうのだけど、その「内容のなさ」こそが「あなたと話したい」という精一杯の気持ちで...とか、そういう解釈だったから。

だからこそ「月が綺麗ですね」は彼なりの"I Love You"だし、それは極論、別に月が綺麗であろうとなかろうと別に関係ない。たまたま彼にとっての話題の要素(言い訳)が月にあっただけ。

 

まぁそんな形で解釈したわけだから、裏の意味を付加されてしまった「月が綺麗ですね」は、私から言わせればその時点でその言葉の尊さや奥ゆかしさや瑞々しさは全てたちどころに消えてしまい、代わりに真意の探り合いという新たな意味がそこに付与されることになってしまう。「この人はこの言葉の"真意"を知っていて使っているのかな?」/「この人はこの言葉の"真意"を読解できるかな?」という具合に。

確かに、そういう探り合いは、それはそれで楽しい。けれど今、「月が綺麗ですね」という暗号は広く知れ渡ってしまい、もはやただの婉曲表現にまで成り下がってしまった。悲しいまでに。そして私は詰まるところ、それをしたり顔で使うインテリ気取りが嫌いなのだ。

 

アイラブユーの伝え方は様々だから、それをそんなんじゃダメだって一概に否定する気はないし、もちろん「月が綺麗ですね」という言葉に乗せて伝えたっていい。ただただ私が嫌いなだけ。

だけど多分本当にどうしようもなく溢れてしまうアイラブユーは、例えようもないほど簡単に無意味な言葉に載せられて零れてしまうし、虚しいほどに表情、声、挙動、目線...に出てしまうものだと思う。「忍ぶれど...」とはよく言ったものだ。

 

まあつまり何が言いたいかと言うと、"I Love You"の訳し方なんて限りなくたくさんあって、わざわざ文豪の力を借りずに自分で訳してみてはどうですか。ということです。

扇風機

つい最近、私の部屋にエアコンがついた。

今までは弟の部屋ーー私の部屋とは襖で区切られているので開けると繋がる構造になっているーーについてるエアコンのみで2部屋冷ましていたから、こんな猛暑の中じゃ全然涼しくならなくて、よく弟と襖を開け閉めして喧嘩したものだった。夏の間は弟の機嫌を損ねると襖をすぐ閉められてしまうのであまり弟に干渉もしなかった。

でも今年は違う。弟と部屋が別れて以来ーーもう10年ほどになるーーずっと迫害されていた夏の温度調節の自由とプライバシーの保護とを遂に同時に手に入れたのだ。

 

エアコン生活は快適だった。こんなにも自由に付けて自由に消せることが便利だとは思わなかった。どんなに夜更かしをしても、どんなに遅く起きてもエアコンが作動したままで、しかも適切に冷やしてくれる。

人類の発展は文明の発展とともにあるとはいうけども、こんなにも便利なんだもの。むしろ自分が人間的生活からの衰退してしまいそうだ。

 

文明が発展すれば廃れるものだって勿論ある(もちろん私の人間的側面の話ではない)。

そして私の部屋の場合、それは扇風機だった。

物心ついた頃から既にリビングにあったそれは、リビングのエアコンを付け替えたことで万年サウナの私の部屋に収監され、夏になると弟の部屋から入ってくる冷気を少しでも多く撒き散らさんとして首を振り続けた。

灰色で、丸くて、羽が4枚ついてて、電源をつけてからゆっくりゆっくり動き始めて、20分後にようやく風量が安定してくるような、古い扇風機。

彼は今年壁に張り付けられた私の部屋の救世主によってその役割を遂に終えた。

 

と思われた。

 

9月に入ってはや1週間。暦では秋のはずだけれどまだまだ昼の気温はうだるような暑さが残る。11:00ごろに「気温の上昇による熱中症の危険が高くなっています。暑さをさけ、体調管理に注意しましょう。」という放送が流れるくらいには、まだ夏なのだ。

それでいて季節の変化というのは不思議なもので、夜になると外の気温も25~27度くらいに落ち着く。その程度ならさすがにエアコンは要らない。けれど少しものたりない感覚が残る。きっと人工的な涼しさにすっかり毒されていて、おそらく体を強制的に冷やしてくれないと我慢ならないのだ。

 

そんな欲求不満を抱えながら、ふと、部屋の定位置にのっぺりとつっ立っている扇風機が目に入った。部屋の配置換えなんて滅多にしないから、エアコンを設置する前からの定位置。私がベッドに横たわった時、彼が首を振れば頭から足先まで丁度風が行き渡る位置。

久しぶりの仕事だから、風量が安定するまで30分かかったし、リモコンの電池は切れていたし、少しホコリを被っていた。それでも今、彼はしっかり私のことを冷やしてくれている。

 

今日は夜明け前に眠れそう。

見栄を張る

「意識高い系」なんて言葉が使われだしたのはいつだろう?数々の言葉が生まれ廃れていく中で、この言葉はもう結構長いこと使い古されることなく使われている気がする。

「意識高い系」を辞書的に言うなら「中身の伴ってない行動をすること。またその人。」だと認識している。具体例としては「スタバデエンターキーターン人」とか「ユーキトカンドーヲアタエル人」とかそこら辺かしら。とにかく私もこういう人種は苦手。

 

ただ同時に、中身より先に表面から取り繕うということも、大事だということに最近気づいた。

例えばマクドナルドでやる仕事とスターバックスでやる仕事、どっちの方が捗りそうかって考えた時、おそらくスタバなのよね。なんとなく「デキる人」を演じることで仕事が進む可能性って高い。「仕事は会社か家でやれ」っていう道理は間違ってないけど、会社でやるより、家でやるより、スタバの方がなんとなくモチベーションが上がる気がする。モチベーションが上がれば、もちろんその分仕事効率だって上がるはず。

おそらく本当に「意識の高い人」って会社とか家とかでもしっかりと向上心や責任感を持って仕事できるのかもしれない。でも人間みんなそうじゃないし、いつもそうって訳でもない。イヤな仕事を押し付けられることだってあるし、疲れてもう寝たいなって時だってきっとある。そういう時にやる気の起爆剤として「オシャレなカフェで仕事をする自分」を演じるという方法は、むしろ効率的と言えるし、実際に仕事が出来ているなら中身が伴っているんじゃないかな。

 

確かに人のこと考えないで、混んでいる店内でずっと居座って仕事をしているなんていうのは迷惑だと思う。でも喫茶店って本来そういう所じゃない?とも思う。

純粋に食事を楽しんで終わる人ももちろん居るかも知れないけど、寛ぎたくて来ている人、勉強をしたい人、仕事をしたい人、誰かと話したくて来ている人...。

きっと見渡せばたくさんの人がいるし、その人たちがみんな後続のお客さんのご迷惑になってるかって言ったら、ちょっと暴論かなぁって思う。

(まぁ個人的にはスタバは喫茶店ではないと思っているけどね。あれは完全にタピオカ屋さんとかと同じ括りで見てるから、スタバで仕事することのステータスとかは全くわからないけど。)

 

オシャレな店、服、アクセサリー、どれも全て自分の中身を上げるためにあると思ってるから、確かにブランドだけに縛られて釣られて動いている人を見ると少し悲しくなる。収集癖というか、持つことや行くことが全てだと思っている人。

でも持った(行った)ことによって(たとえブランドに依存していたとしても)それでヤル気が上がるならいいのでは?というのが持論です。以上!

好意恐怖症

生徒に過度に好かれるのが怖い。

 

今日バイトしてて思った。バイト先での自分は「それなりにいい先生」を演じているし、それは生徒に好かれる目的を含んでいると自分でも自覚しているんだけど、それでもいざ好かれるとめちゃくちゃ怖い。

自己肯定感が低いといえばそれまでなのかもしれないけど。私のことを「大好き」と言ってくれる生徒は確実に私の自己肯定感を上げに来てるし、事実「私は好かれているんだな、いい先生でいれてるんだな」と日々感じてる。なんなら多数の生徒から好かれているという自覚があるし、ほかの先生や社員さんからの「かなり好かれてますよ」という伝聞もあって、まぁ充実したそれなりにバイトライフは送れていると思ってる。自慢。

 

そう、自慢できるくらいには「先生」をやっている自分への肯定感は高いんだよね。というか生徒達が私の自己肯定感を上げてくれている。そしてそれが怖い。

生徒たちが好いてくれているのはあくまで「気さくに話しかけてくれるし雑談も乗ってくれるし分からないところを丁寧に分かるようになるまで教えてくれる私」であって、おそらくそれが崩れた瞬間にその好意は離れていってしまうように感じてしまう。

 

今日も少し危なかった。いつも、「今日も少し危なかった」と思いながら帰ってる。"危ない"というのは、すなわち「フレンドリーな私」ではない私が出そうになったということ。

 

私は人と関わることそのものにそこまで喜びを感じるタイプではないし、(人間的に)好きな人と接していても関わることに関してはそこまで執着しないというか、急にシャットアウトしちゃう時があるのだ。(とてもとても、良くないことだとは思ってる)

なんでシャットアウトしちゃうかと言えば単純にずっとオープンな状態だと疲れるからで、そのオープンもめちゃくちゃ短い時間しか無理。で、親しい人なら自然なシャットアウトが出来るんだけど(というかそもそもそこまでオープンにしてないからずっと穏やかでいられるんだけど)、そこまで行ってない例えば生徒のような距離感の人にはそういうことが出来ない。ずっと苦し紛れにオープンな状態。だって話しかけても相槌しか返さない先生なんてイヤじゃない。一気に信頼崩れるじゃない。そう思ってめちゃくちゃ取り繕うけど、やっぱりたまに「あー会話めんどくせー」って空気が出てしまいそうになる。いや、出てるのかもしれない。でもそれで嫌われるのは嫌だから、めちゃくちゃ生徒のご機嫌を伺う。

 

その一連の流れが怖くて怖くて、ストレスばっかり溜まるしで、もうイヤ。私のことを好いてくれる人は私にどこか「いい人」という期待があるんだろうなと思ってしまうし、その期待通りに振舞ってしまう自分もいるし、なのに完全に演じきれなくてたまにめちゃくちゃ怖い空気をまとってしまう。演じてない自分を好きになって欲しくなる。

 

早い話、重圧に耐えきれない。そして、あまりにも自分を演じすぎた。

 

好意恐怖症とは書いたけど、結局嫌われるのが怖いだけ。

勝手に期待されて、勝手に裏切られたと思われて、勝手に失望されるのが怖いだけ。

そしてそれを恐れて、子供の向けてくる純粋な好意すら恐怖対象にしてしまう自分に失望してしまうだけ。

 

 

怖がりで冷たくて適当で都合のいい私のことを好きになってくれればいいのに。なんて。

不登校少年について思うこと

自分に甘く他人に厳しくという最低な性格なのでこういうこと言うのって結構レアなんだけど。

最近不登校少年YouTuberが話題になってるじゃん。不登校の理由が「宿題をやってこないと残ってやらされるのが嫌だ」みたいなので、子供から大人まで結構その事を批判してる人が多いよね。

私自身将来学校教育に従事する予定ではあるので、教員から見てその理由で学校に来てくれないのは寂しいなーくらいには思う。

 

まぁ、で、不登校少年を批判する人の意見とか見てみると「学校は勉強を学ぶところだけではない」とか、「社会性を身につけられないまま大人になるのは良くない」とか、「やりたくないこと全部放棄してたら甘ったれた人間になるぞ」とか、まぁ割と最もらしいことは言ってるなとも思うのよ。皮肉っぽい言い方をすれば、"まとも"に学校教育を受けて"まとも"に育った"まとも"な大人(もしくは学生)の意見。

 

さて、じゃあ逆に聞きたい。まず社会性って学校で身につくものかな。学校教育のなかった時代には社会性のない大人が多かったの?違うよね。社会性って本来社会の中で生きる上で身に付けるものだよね。それを学校という「擬似的社会」を作ることによって学べているように錯覚させているだけ。(いやもちろんカリキュラムでもそういうことを学ばせるみたいな内容はあるわけだけど。)

例えばよく見かけるのは「学校教育の中では先生や親のいうことを聞ける子が偉いけど社会に出たら自分の意志で動ける人が偉い」みたいになってしまい、没落してしまった優等生の話とか。

学校で身につく「社会性」って、結局そういうこと。私は「ある社会の中で一番偉い人を見極めてその人に迎合する能力」だと思ってる。これも社会を生きていく上で大事な能力だと思うけど、まぁ言わば自主的な奴隷だよね。反吐が出る。

1人だけ違う行動をすれば社会性が無いとか色々意味わかんないことを言うくせに取り上げる歴史の偉人はいつだって社会の中で異端な行動をして成功した人。は????って感じ。要は教師が扱いにくい生徒を「社会性が無い」の一言で片付けたいだけなんだよね。

誰かがランダムで作った強制的な社会に溶け込めなくたって、ほかの社会(例えばyoutube界隈など)に積極的に参入できれば、それはもう立派に社会性が備わっていると思う。あとは人を傷つけないにはどうしたらいいか、とか、そういう情緒教育を誰かがすればいい(youtubeTwitterにはお説教おじさんみたいなのがいて顔真っ赤にしてコメントしてくるから多分自然と学べるはず)。

 

そして、「甘えるな」理論を主張する人もいるじゃない。宿題なんてみんなやってるんだからお前も我慢しろ的な。私さ、そういうの大っ嫌いなんだよね。おそらく宿題をめちゃくちゃ楽しんでやってた人なんて居ないわけよ。多分。みんな嫌だなー嫌だなーって思いながらやるじゃん。

たしかにさ、自分が苦労してやった宿題を「やってないから写さして」とか言われたら腹立つよ?私だって腹立って見せなかったこと山ほどあるよ。でもさ、「やりたくないからやりません!」って言ってる子に腹を立てる理由は何?いいじゃんこっちにしわ寄せが来るわけじゃないんだから。

それから「力がつかない」とか言ってる人居るけど、小学校の宿題でなにか力が付いた??無駄に漢字5回書かせてきたりするじゃん。私が力技で勉強するの好きじゃなかっただけかもしらんけど、ちょっと脳筋すぎん?勉強って覚えてそれを使えることになるのが目的であって、回数化するとそれは「達成するべきタスク」に成り下がってしまうわけ。そんなものやって何か力がつくの?もちろん実用的な宿題はやってもいいと思うけど、しっかり「これをやることでこういう効果が出る」って説明しないとやる気でなくない?

だから結局さ、「自分も我慢してやったんだからお前も我慢しろ」が全てなんだよね。「君のためを思って」みたいな胡散臭い理由で君を全否定するヤツの主張なんて聞いちゃダメ。

 

ただ最後に、勉強はした方がいい。どんなに社会に不適合であろうが、知識があればそれなりに人生楽しくなるから。YouTuberやるにしたって、知識がある人間の喋りはやっぱり違う。学校に行けとか言ってる大人だって見返せる。

もし学校の授業が退屈で死にそうなら受験塾に行けばいいし、追いつけないのなら進研ゼミとかで知識を補完した方がいい。

学校じゃなくたって勉強は出来るので。

 

不登校少年、割と応援してる。チャンネルは見ないけど。充実した人生を送って欲しい。

冗談の「冗」

「冗談を言う」って言って咄嗟に思い浮かぶ光景はちょっとおちゃらけた人がぺらっとなにか零して、みんなが一斉にどっと笑うというもの。な人がどれくらいいるのかはわからないけど、居ないということはきっと無いはず。

 

でも私は「冗談」という言葉に良い印象がない。これは完全に過去のトラウマなわけだけど。何か傷つくような事を言われて「え?まって、さすがに酷くない?」って言ったら(こうやってすぐ抗議できるところが私の美点でもあり欠点でもあるとは思ってる)、「えー?冗談じゃん笑」って言い返されたことが何回もあるから。

もうさ、1回じゃないし、1人の人間って訳でもないんだよね。だから私の中で「冗談」って言葉は割と多くの人が使ってる「逃げ」の言葉。もしかしたら私ですら無意識に使ってしまったことがあるかもしれない。そうだとしたらめちゃくちゃ反省する。

 

だってさ!仮に傷つけるつもりがなかったにも関わらず軽口を叩いて傷つけてしまったとしてもよ?相手が「傷ついた」って主張してるなら謝るべきじゃない?なんで抗議した自分が「空気読めてないやつ」みたいな扱いされるの?てか空気読むってなんだよ。自分だって私が醸す「不快」オーラ読めてないくせに何一人前に読めてますオーラ出してんだよ。読めてねぇよ。

ましてやね、私1番嫌いなのが人の事「ブス〜笑」とか「デブ〜笑」とか、そうやって容姿でからかうことなんだけど。そういうの"冗談で"言える人ってめちゃくちゃサイコパスじゃない???本当に嫌い。「信頼関係が云々」とかさ、関係なくない???「相手は傷ついてないから」みたいな主張もたまに聞くけどさ、逆に何を信じて「相手は傷ついてない」みたいに言えちゃうわけ???笑ってるから???「全然大丈夫」って相手が言ってるから???自虐してるから???もしそんな根拠薄弱な理由で相手のこと傷つけてないと思い込んで他人の容姿をからかってんだとしたらね、最低だよ。

てかね、もしもしもし仮に相手が傷ついてないとしてもだよ、その会話聞いてる第三者としている時、めちゃくちゃ不快。「私が不快だから今すぐその会話やめろ!!!」とかさ、そこまで言わないよ、言ったことないよ。

でも全てに腹が立つんだよこれ。自分だって言われて嫌なこと沢山あるだろうにそれを全部棚上げして相手を貶める言葉を""笑いながら""吐けるその人の人間性、それを笑って受け止めてしまうその人の弱さ。これさ、たまに「本当に優しくて心が強いひとは黙って笑って受け止めてる」みたいな胸糞悪い文章あるよね。それも腹立つ。はっきり言って黙ってる人は弱いよ。これ考えたの絶対いじめっ子だよ。心が強かったら嫌われることを恐れず言い返せるもの。優しかったら(お節介かもしれないけど)これ以上友人が人のことを貶めて笑いを獲ることが無いようにたしなめるもの。少なくとも自分はそのようにしてる。心が強くて優しい人間になりたいので。口うるせえやつとか思われてるだろうね。お節介ババアとかさ。「いや、反抗期かよ(笑)」って思うくらい稚拙な陰口言われたりとかさ。全部経験あるよ。まぁそんな人に嫌われたところで感あるけど。

心が弱い人がいて当たり前。むしろ私とかは強い方だからもし自分が傷つけられてもしっかり言えるけど、そうじゃない人の方が多いわけで。その心の弱さにつけ込んで「本当は心が強い!」って変に持ち上げて許されようとするその神経、マジで無理。

 

1回、冗談の「冗」って文字辞書で調べてほしい。

「不必要・余分・無駄、わずらわしい、くだくだしい。」

こんなんだよ。「冗談」って、そういうものだよ。

 

最後に。自分が「お調子者キャラ」で「冗談をよく言ってみんなを笑わせる人」だと思ってる人に言いたい

調子乗ってんじゃねぇぞ