徒然。

理想と現実と

角田光代『Presents』を読んで

角田光代さんのお名前は存じ上げていたのだけれど、どのような文章を書く人なのかは全く知らずにいたので、素敵な著作に出逢えたなというのがまずはざっくりした感想。

物語自体は短編のオムニバス形式で、女性の登場人物が「Present」について思いを馳せていく。毎回物語に没頭しつつも「自分にもこんな経験はあったのかもしれない」と思える、そんなお話ばかりで、つまり主人公がどれも着飾らない等身大な女性ばかりだった。

全てのお話を読み終えたあと、きっとこれを読んだ人全員が考えるであろう「一番心に残った贈り物ってなんだろう」という問いについて考えていたのだけど、二十云年生きただけの私の「一番」なんていつ簡単に塗り変わってもおかしくない。けれどそもそも贈り物に優劣なんて付け難いのでそれについて今回は書き残していきたい。

 

そもそもこの話と巡り合えたのは塾のバイトで過去問を生徒に教える機会があったからだ。過去問に出てきて、かなり不意打ちだったので号泣しながら問題を解いた。その生徒を教える機会がなければこの話と巡り合うことは無かったので、まずこの本自体が「生徒からの贈り物」なのだ。

その塾で大学4年間アルバイトをしていく中で、沢山の生徒から沢山の「贈り物」を貰った。受験生からの受験結果、それとともに頂いた宝石のようなお菓子、懐いてくれている生徒が(お菓子のやり取りは禁止されているにもかかわらず)日常的にくれるお菓子、それと共に贈られる「先生大好き」という言葉、教室に貼ってあるだけの「先生の自己紹介カード」をしっかり見てそこに書いてある誕生日を覚えて当日貰った誕生日プレゼントのお菓子、そこに加えられる「いつもありがとうございます」の言葉…………

4年間で沢山の生徒から沢山の言葉とお菓子を貰った。私はそれだけのものを返せただろうか、私から贈れるものは勉強のアドバイスと問題の解き方しかない中でそれはしっかりと釣り合っていたのだろうか、とよく考える。そしてこれからもこの業界に居続ける以上常に考えていくことになるだろうし、考えることをやめてはならないと思う。

今日は1年間ずっと目をかけてきた生徒から第一志望の合格報告があった。受験というものと向き合う業界で働いてるのでこの「贈り物」は本当に嬉しい。ただ、結果よりも、私が授業中に贈った全てが、その生徒の人生をささえる何かになっていればそれ以上の喜びは無いと思う。

 

さて、確かに生徒から貰った贈り物はどれも嬉しいものでどれも大切なものだが、それを遥かに凌駕する、自分の命より大切なものがある。それはとんでもなく大きいサイズのミッフィーちゃんのぬいぐるみだ。ミッフィーちゃんは私が生まれてすぐ祖母が買ってきてくれたものらしく、ずっとずっと私の隣で一緒に寝てきた子なのだ。親に言いくるめられて悔しい時も、弟と喧嘩して腹の立つ時も、学校で辛いことがあった時も、受験や卒論でストレスが溜まりまくった時も、いつも抱き締めながら、時には涙も染み込ませながら一緒に寝てきた子なのだ。

時々、火事で家が全焼してミッフィーも焼けてしまったら、と考えてしまう。私にとってミッフィーは心の拠り所で、それを無くしてしまったら、今までずっと何とか立ってきた自分が全て崩れてしまうだろう。それくらいかけがえのない唯一無二の宝物で、貰った時の記憶なんて全くないけれど、祖母には一生感謝し続けるし、おそらくそれが「一番心に残る贈り物」となるのだろうと、弱冠二十なんぼの私は思っている。

 

春からの新生活にも、もし結婚したらその新居にもミッフィーちゃんは必ず持っていくだろうし、もし子供が生まれたなら私は多分赤子よりふた周りくらい大きなサイズのぬいぐるみを我が子に贈ると思う。その子が生きていく上で心の拠り所になるような、大きくて包容力のあるぬいぐるみを。