徒然。

理想と現実と

この一年、ほんとうはいろいろなことがあった。

この一年、ほんとうはいろいろなことがあった。でもそれは指で砂をすくうみたいに、すくうそばからこぼれていき、あってもなくてもおなじことに思える。日常というのはそういうものなのかもしれない、と、最近は考えるようになった。

江國香織「どこでもない場所」(『号泣する準備はできていた』)

 

今年1年間は本当にこの言葉が良く似合う年だった。数え切れないほど沢山の出来事があって、楽しくて幸せでたまにつらくて、その時々でいつも強い感情を抱いていたのに、過ぎ去ってしまうと断片しか思い出せない。そんな1年だった。

その中でも自分を明確に変えてくれたものを3つ、忘れないうちにここに書き留めておこうかな。

 

ひとつめは、勉強面において。

今年は特にあらゆる知識が繋がる1年だった。1年生の頃興味本位でとった言語学の授業の教科書を社会学のレポートを出す時に使ったり、江戸時代の障害者について調べている時に参院選障碍者の方が当選したり、疋田先生の授業で扱われた内容が浅野先生の授業で扱われていたり(これは今年に限った話ではないけど)、あとは全体的に「倫理」というものに関してとても考えた1年だったな。一見何も関係ないような知識が繋がる時って本当に楽しくて、勉強について必要不必要で語ってる人が馬鹿みたいだと思えてきちゃうよね。結局知識はあればあるほど楽しい。勉強の面白さと、自分の不勉強さを再認識した1年でした。

 

ふたつめは、音楽面において。

まずは3年間ジャズというものをやってきて、入った頃から、いや入る前から好きだった人たちをまだ一番好きで居られることにやっと自信を持てるようになった。Chet BakerCurtis Fullerもあまり一般受けはしない人達で、去年まではもっと色んな人を聞かなきゃ聞かなきゃってそっちの気持ちの方が強くて、好きだってことは自信を持って言えてたけど好きな自分には自信を持てなかった。

だけどやっぱり他の人より全然好きで、沢山聞いて色々コピーもして(出せるようにはまだなってないけど)、Key-cockoという場でカーティスのソロをできるだけリスペクトしたソロを吹いたり、チェットの私が感じる魅力を全部敷きつめたアレンジで曲を吹いたりして、それを良かったというふうに何人もの人から褒めてもらえて、やっと「ああ、好きでよかったんだ」って安心できた。あとは他の人の素敵な演奏も沢山聞けて、好きなものを極めると自ずと自分らしさも出るんだなって強く感じて、悩みが吹っ飛んだ。

来年はもっとスタイルを確立させて「これが私のやりたかったこと!」を何も喋らずにわかってもらえるくらい、もっとのめり込みたいな。コンテンポラリー系も含めて。

 

みっつめは、人間関係において。

今年はたくさんの人と色々なところに行った。挙げていけばキリがないんだけど、観光、ライブ、飲み、遊び、セッション、たくさんたくさん、本当に沢山、色んなことをして、色んなものを見て、色んな話をして、幸せでした。

高校生の頃はまず誰かと遊びに行くなんてことなくって、いつも家と学校の往復だけで、遊びに行くとしても1人で。そんな私が数え切れないほどの人と数え切れないほどの予定を立てるなんて、本当に有り得なかったんだよ。特にサークルの人たちには感謝しかない。今も初日の出見に電車の中にいる訳なんだけど、こんな大晦日正月の過ごし方初めて!素敵な年になる予感しかしないね。

今年私と予定を立ててくださった方々、本当にどの時間も楽しかった。こんな幸せなこと無かった。ありがとうございました。

 

取り留めのない日常がこれでもかっていうくらい幸せな、良い年になりました。来年は毎日が幸せな、さらにいい年になるといいな!