徒然。

理想と現実と

自己肯定感が上がった話

もちろん、自分にはまだまだダメなところがあるし、その度に落ち込んでしまうけど、総合的に見てこの1年間で自己肯定感がとても上がったと思う。(ちなみに今日小学生の国語の授業で適切な接続語を入れるみたいなことやったんだけど、もし最初の「もちろん」が空欄になっても誰一人として答えられないだろうなって思った。文法の破綻。どうでもいい。)

 

理由として、まずはバイトの成果が出たこと。去年は教えてた生徒みんな芳しくない成績になってしまって、伸ばせなくて悔しいな、申し訳ないな、私教えるの向いてないのかなってずっとモヤモヤしながらこの1年間教えてきた。私の事を好いてくれる生徒はいたけど、その子をいい所に行かせてあげられなかったのが1番堪えたのかもしれない。でも今年は、生徒をいい所に行かせてあげられて、熱烈に好いてくれる生徒も出来て、体験授業でも塾にわんさか生徒を入れたから、客観的にも自分の実力が上がったなって思った。これはただの自慢。でも自分なりに色々工夫して頑張ってやってきたことだから本当に嬉しいんだ。許してほしい。

 

それから、顔。高校時代は本当にブスでそもそもあんまり可愛いって言われることがなかったし、言われても慣れてなさすぎて「お、お世辞...?なんの為に??」くらいに思ってた。

けど大学入って、化粧してコンタクトにして、ちょっとだけだけど自信を持てて、それでも写真映りは相変わらず悪いから可愛いと言われることにまだ抵抗はあるけど、それでも「あれ...私もしかして可愛い部類に入るのかな.....?その可能性も無くはない...???」くらいには思えるようになった。

ちなみにところであのね、顔は大事ですよ。「顔より中身」って言った人はわかってない。このふたつは不等号で表すことはできないよ。それに中身がいい人の顔ってわかるんだよね。整ってるかどうかはさておき、とても"いい顔"してるんだよ。これね、20歳を超えるとそういうの顕著に出てくる。もちろん天性の才能でイケメン美人に生まれた人は性格の悪さとか全部造形で隠れちゃうから見抜くのが難しいんだけど、私の面食いは単にパーツが整ってるとかそういうんじゃなくて、"いい顔"してる人が好きってこと。そういう意味での「顔は大事」。

 

さて、自己肯定感が上がった話に戻ろう。あとはやっぱり私のことを好きと言ってくれる人が多かったことが理由。直接好きって言ってくれることはなくても優しくしてくれる人が沢山いたこと。

自分が1番自分の良くないところを把握してるし、それが出ちゃってることだって沢山あったはずなのに、変わらず優しく接してくれるし、あんまり責めないでくれた。もう書いてるだけで泣きそうになっちゃってるんだけど。

優しくしてもらえるって、すごく自己肯定感が上がるって気付いた。一瞬何かの拍子で褒められたりするより、取り立てて褒めるような要素が無くても長く長くずっとそばにいて笑ってくれてる方が格段に幸せだった。もちろん褒められるのも嬉しいけどね。なんかプロポーズみたいだなこれ、、、

 

とにかく、自分の肯定感だけは自分で上げられるものじゃないし、自己肯定するためにはまず他者が肯定してくれないと無理。これは社会集団をつくる人間の習性なのかな。他者依存の考え、基本的には好きじゃないけど、これに関しては本当に他者の役割がでかいと思うんだ。

だから私はみんなのおかげで今日も生きてます。ありがとう。来年度はもっとポンコツ具合を減らします。減らせるように頑張る。ポンコツ減らして、できるだけ言葉を選んで、笑顔で優しく、でも思ったことはハッキリという。自分がどうしても嫌なことをそのまんま捨て置かない。そんな1年に来年度はしていこう。優しくてフワフワで芯のある女の子になろう。