徒然。

理想と現実と

白髪頭を叩いてみれば文明退化の音がする

歴史は地続きで、劇的な変化なんてそうそう起こらない。明治維新ですら何もかもがひっくりかえったわけじゃないし、WWⅡ前後で変わらないものも沢山ある。変化はいつだって声を上げまくってやっと少しずつあるものだ、と思う。

よく「令和にもなって」という枕詞で昭和のまま止まった価値観を揶揄するものがあるけれど、その気持ちは分かりつつ、でも変えるには前の世代が死ぬしかないからしょうがないのだという思いもある。天動説から地動説に変わったのだってそうなのだもの。

だけど、だからといって呑気に構えていても変わらないものは変わらない。変えていこうという声の大きさと世代交代が合わさって始めて変化は訪れる。

 

女性差別や性的マイノリティ差別なんかは今現在変わろうという動きが強まっており、徐々に緩やかに変わっていっているものの一つだ。「女性差別」とは言うけどどちらかと言うと「性役割の押し付け」と言った方が正しいかもしれない。性役割を押し付けられた時に男性の不利益より女性の不利益の方が大きいため「女性差別」と言っているだけ、と私は思っている。性役割の押し付けによって窮屈な想いをしている男性も多いことだろう。

今回語りたいのはこの「性役割の押し付け」についてだ。

 

性役割の押し付け」は良くない、と私は思っている。女は黙ってろとか言われたくないし、馬鹿なフリして「おだてのさしすせそ」なんか使いたくないし、なにより可愛い性格をしていないので可愛くあることが出来ない。その代わり男性にも甲斐性(がどういうものかわからないけど)とか求めてない。荷物は持たなくていいし、車道側を歩いてもらわなくても構わない。あと割り勘でいい。

ただ、一方で好きな人ができた時、私は異性愛者なので好意を寄せる男性に対して「可愛く思ってもらいたい」と思っていると思う。多分…。そして男性に対して「リードして欲しい」とも、きっと思う。リードっていうのは、なんだろう、初動は出来ればそちらからしてほしいし最終的な意思決定は任せたい、という所だろうか…。

リードして欲しいって言うのは正直「好きな異性」のみに抱く感情なのかわからない。普通の約束でも相手から声がかからないと動かない上に自分も色々候補は出しはするものの最終的な決定は相手に委ねることが多い人間なので、私は人としてそういうことを求めている人間であるというだけかもしれない。

 

問題は「可愛いと思われたい」ということだ。これは好きな人特有に抱く感情である。もちろん友人に可愛いと言われるのは嬉しいけれど、それは褒められているからこその嬉しさであって「可愛い」という言葉を求めているからでは無い。

この「可愛いと思われたい」という感情は、私のどういう価値観から形成されているのだろうと最近、特にジェンダーについて色々と考えている時に、よく疑問に思う。

1番可能性が高いのは、「女の子は可愛い方がいい」というジェンダーバイアスが染み付いているということだ。そしてこのバイアスは「性役割の押し付け」にほかならない。そうなると私はもう迂闊に「性役割の押し付けはよくない!」とは言えない立場になってしまう。だって自分自身にそれをしてしまっているんだもの。

もちろん「可愛さ」の定義にもよる。私の中で「可愛さ」とは、まず外見であり、それは顔はもちろん、服装や髪型は「女性らしい」見た目であることだ。デートにパーカーとジーンズで行こうとは思わない。しかしそれが「良い格好を見せたいから」なのか、「女性らしさをアピールしたいから」なのかは自分にも分からない。前者なら"生物の本能"らしい感じがするが、じゃあバチバチにクールに決まったボーイッシュな私で行くぜ!と思うかと言われれば「否」と言うだろう。あくまで「女性らしさ」で勝負しに行くと思うが、仮に相手が「格好とか興味無いよ〜可愛いとかよくわからんし」みたいな人だったら果たして女性らしさを全面に押し出すだろうか。相手はきっと女性に対して女性らしさを好むだろうと言う期待によってそういう格好をしているのなら、私は相手に対してものすごい偏見を抱いていることになってしまわないか。それとも自分の1番似合う服がたまたま女性らしい服なので自分をよく見せたいと思うとそういう格好になってしまうだけなのか。

 

つまり、何が言いたいかと言うと、自分の中にもまだまだジェンダーバイアスは染み付いている可能性があり、それは簡単に削ぎ落とせるようなものでは無いということ。性役割の押し付けは良くないと思ってる自分ですらそうなので、なんとも思っていない人間にいきなり「それダメですよ!」と言っても意味がわからないだろうし反抗心が芽生えて当然だろうと思う。

「女性は可愛くあるべき」という風に言われるとめちゃくちゃ腹が立つけれど、実際にはそれに従って生きている自分がいるし、「男性はリードすべき」という言説にうわぁと思いつつそうだそうだと思う自分もいる。

ただ、一方でもう既に世界は「女性は可愛くあるべき」「男性はリードすべき」という風に大っぴらに言っては反感を買うというところまで進んでいるのも事実だ。その言い分に共感する人もいるだろうが、一般化をしてあたかもそれが普通のように語ってはいけないでしょう、という流れになってきている。

大っぴらに言う人が減れば、子供たちにそういう価値観が植え付けられる機会も減る。そして世代が変わればそういう価値観に縛られず育った子達が新しい価値観に寄り添って生きていく。変化とは常にそうであると思う。

だからこそ、なんの抵抗もなく差別発言をして、その言葉に責任を持たず、「不快に思わせたなら」とかいう受け取り側に責任を負わせるような言葉で謝罪する、そういう頭が置いてかれて老いてしまった人間がいなくなるまで、頑張って粘っていかねばなのだ。

 

もしも時代に遅れたる発言する者現らば

そっと頭を叩きませ 文明退化の音ぞする