徒然。

理想と現実と

情緒は不安定なもの

私は情緒というものをとても大切にしている。

普段脳みそを欠片も使ってないようなツイートばかりしておいてこんなことを言うのもはばかられるけど、言葉というものの重みをよくわかっているつもりだ。(もちろん頭で理解してるだけで実際は軽はずみな発言ばかりしてしまう)

私がどれだけ情緒を重んじているかは、江國香織の言葉集を見たりいいちこのポスターを見たりすれば少しは共感して貰えると思う。少ない言葉でその言葉を発した人の背景を説明してしまうような、そんな間合いの取り方が大好きなのだ。江國香織の書く人物は物語のために現れた訳じゃなくてあくまでその人の生活の一部分を切り取ったかのように描かれるし、いいちこのポスターは常にその景色を見ている人の人柄、経験、人生を思わせるかのよう。他にも持田あき先生の『スイートソロウ』という漫画は揺れ動く複雑な心情をひとまとめにしないような言葉でありふれていてとても好きだ。

 

最近、「情緒がない」と思った出来事があった。皆さんお気づきだろうが、件のワニである。ワニの商品化の宣伝云々についての情緒のなさに関しては色々既に言われていることなので改めて私がここで述べる必要も無いと思う。余韻が必要だったという意見に賛成だし、色々な告知を出すタイミングを大幅に誤ったと思う。

私が言いたいのは本編に関する情緒のなさだ。1~99日目まで何気ない日常の「単純明快な」「4コマ漫画」というスタイルでずっと貫き通していながら100日目で急に「意味不明な」「4ページ漫画」と化したその一貫性のなさにまず驚く。100日目で非日常=死は予定調和なので問題としない(死も日常として描かれていたのにワニが死ぬ時だけ非日常感が出てるのは如何なものかという気持ちも無くはないがそれは主人公補正がかかって然るべきなので今は論じない)。非日常を表すためにそうしたのかもしれないが、それは「明日は我が身」「死は日常の中にある」という、読者が受け取っているメッセージと酷く矛盾する。死を非日常と定義するなら、日常を100日も続ける意味が無い。冗長すぎる。むしろ死という非日常から始まる物語でも良かったはずだ。

話を戻そう。まず「意味不明」なのが1番問題だ。色々考察する人が「謎解き」をしてしっくりくる解釈が出てきているのだが、なぜ100日目だけそのスタイルにしたのか。もちろん今までだって考察班はいくらでも居たが、彼らはただアイテム(出てくるもの全ての総称)に対して過剰に反応しているだけに過ぎなかった。少なくとも結論が出ていない状態では。しかし100日目は考察する人がいないと読み取れない人が出てくる始末だ。「結局なんで死んだの?」「ここの描写ってどういうこと?」という声も少なくなかった。

そしてアレだけぼかしといて真相は交通事故だったという結論も情緒がない。もっと捻れよと思う。一瞬で命が奪われる怖さ、100日までに体感している死の直前のヒヤヒヤ感(ねずみくんやヒヨコ、人相の悪い犬などが登場した時に描かれた描写)と近いものを全く描いていない。これじゃ瀕死と即死の対比構造が出来上がらない。ただワニはなんとなく死んだだけだ。99日まで「ワニは自分自身なんだ」と錯覚させるようなリアルな日常の描写であるのに事故シーンだけ抽象的で非リアルなのはどうなのか。せめて血を流しながら眠るように死ぬワニの上に桜の花びらが降り注ぐ描写ぐらい書いても良かったのではないか。遠くで鳴り響くサイレン、それを耳に入れるねずみくん、くらいの描写が入れば登場人物たちのその後もなんとなく想像が着くし何より読者の中でしっかりとワニが死ぬ。まぁこれは全て素人の戯言なので無視して良い。

結局商売やコンテンツへの挑戦という観点を無視して「100日続けること」になにか意味があったかと問うて明確な答えが返ってくるような作品ではなかった。大切なシーンとそうでないシーンを仕分けして大切なシーンだけ繋いで50日で死ぬワニにしても良さそうだ。事実1週間ほどで結構話題になっていたし、50日でも全然足りたと思う。

 

あとは作者の友人のエピソードを持ってくるあたり興醒めだ。死んだ友人を使って金儲けかよという感情もあるが、それ以上に私は人の死を使って「生きるって大切だ」という人間が大嫌いだから、めちゃくちゃ嫌いになった。前から好意は無かったけれど。

ワニを使って「生きること」を諭すなら気持ち悪いがまぁそれが言いたい事だったんだろうと納得行く。それは自分の作品で自分が言いたいことを伝えているからだ。でも自分の友人をモチーフにしたとなると全く話は違ってくる。死んだ友人を作品内でもう一度殺して教訓めいた歌とともに追悼POP UP SHOPだ。吐き気がする。有り得ない。

死ぬこと、生きること、に関しては数え切れないほど多くの作家が対峙して作品にしてきた。そして私はあまりにも物語の教養がないので私の知っている範囲での話をすれば、例えば『死化粧師』という漫画は「死の美しさ」をテーマにしていて暗に死を悪としていない。『うせもの宿』という漫画は死人の遺品という切り口で、登場人物が死に納得する様子を丁寧に描いている。アニメなら『つみきの家』はたった数分で日常とそれを失ってもなお生きることを描き切る。小説で言うなら浅田次郎の短編集はオススメ、特に『鉄道員』。

などなど、知識が薄い中でも「生きるとは何なのか」を考えさせられる作品というものは多く思い浮かぶ。

さて、はたしてそれがワニにあったか。「生きることって大切」で思考停止してないか。ワニのように友人や恋人に恵まれない人間の命は大切か。大衆にメッセージ性を持って流したいのなら100日間でもっと濃いものを作れなかったのか。ただ日常を描いて突然訪れる非日常で死、はい終わり、死って怖いね〜命大事にしたいね〜ってか?バカにしてんの?やば、ヒートアップしそう、やめよう。

 

1番気に食わないのはこの作品を評価してる人間がマジョリティだってこと。端的に言えばマイノリティの僻みだ。価値観の違いだ。

私が物語に向き合う時は常に情緒を重んじているわけだけど、オチのある教訓めいた作品の方がもてはやされる世の中かと思うと、憂世だなぁと思う。もっと一言では表せないような、葛藤していてそのどちらとも言えない状況が最善と言えるような、そんな奥行きのある作品が流行ればいいのになぁと。私は今まで通りマイノリティを掘り進めていくけれど、少しでもその良さを皆さんに伝えられたらいいなあ。そのために言葉はあるから。