徒然。

理想と現実と

扇風機

つい最近、私の部屋にエアコンがついた。

今までは弟の部屋ーー私の部屋とは襖で区切られているので開けると繋がる構造になっているーーについてるエアコンのみで2部屋冷ましていたから、こんな猛暑の中じゃ全然涼しくならなくて、よく弟と襖を開け閉めして喧嘩したものだった。夏の間は弟の機嫌を損ねると襖をすぐ閉められてしまうのであまり弟に干渉もしなかった。

でも今年は違う。弟と部屋が別れて以来ーーもう10年ほどになるーーずっと迫害されていた夏の温度調節の自由とプライバシーの保護とを遂に同時に手に入れたのだ。

 

エアコン生活は快適だった。こんなにも自由に付けて自由に消せることが便利だとは思わなかった。どんなに夜更かしをしても、どんなに遅く起きてもエアコンが作動したままで、しかも適切に冷やしてくれる。

人類の発展は文明の発展とともにあるとはいうけども、こんなにも便利なんだもの。むしろ自分が人間的生活からの衰退してしまいそうだ。

 

文明が発展すれば廃れるものだって勿論ある(もちろん私の人間的側面の話ではない)。

そして私の部屋の場合、それは扇風機だった。

物心ついた頃から既にリビングにあったそれは、リビングのエアコンを付け替えたことで万年サウナの私の部屋に収監され、夏になると弟の部屋から入ってくる冷気を少しでも多く撒き散らさんとして首を振り続けた。

灰色で、丸くて、羽が4枚ついてて、電源をつけてからゆっくりゆっくり動き始めて、20分後にようやく風量が安定してくるような、古い扇風機。

彼は今年壁に張り付けられた私の部屋の救世主によってその役割を遂に終えた。

 

と思われた。

 

9月に入ってはや1週間。暦では秋のはずだけれどまだまだ昼の気温はうだるような暑さが残る。11:00ごろに「気温の上昇による熱中症の危険が高くなっています。暑さをさけ、体調管理に注意しましょう。」という放送が流れるくらいには、まだ夏なのだ。

それでいて季節の変化というのは不思議なもので、夜になると外の気温も25~27度くらいに落ち着く。その程度ならさすがにエアコンは要らない。けれど少しものたりない感覚が残る。きっと人工的な涼しさにすっかり毒されていて、おそらく体を強制的に冷やしてくれないと我慢ならないのだ。

 

そんな欲求不満を抱えながら、ふと、部屋の定位置にのっぺりとつっ立っている扇風機が目に入った。部屋の配置換えなんて滅多にしないから、エアコンを設置する前からの定位置。私がベッドに横たわった時、彼が首を振れば頭から足先まで丁度風が行き渡る位置。

久しぶりの仕事だから、風量が安定するまで30分かかったし、リモコンの電池は切れていたし、少しホコリを被っていた。それでも今、彼はしっかり私のことを冷やしてくれている。

 

今日は夜明け前に眠れそう。