徒然。

理想と現実と

見栄を張る

「意識高い系」なんて言葉が使われだしたのはいつだろう?数々の言葉が生まれ廃れていく中で、この言葉はもう結構長いこと使い古されることなく使われている気がする。

「意識高い系」を辞書的に言うなら「中身の伴ってない行動をすること。またその人。」だと認識している。具体例としては「スタバデエンターキーターン人」とか「ユーキトカンドーヲアタエル人」とかそこら辺かしら。とにかく私もこういう人種は苦手。

 

ただ同時に、中身より先に表面から取り繕うということも、大事だということに最近気づいた。

例えばマクドナルドでやる仕事とスターバックスでやる仕事、どっちの方が捗りそうかって考えた時、おそらくスタバなのよね。なんとなく「デキる人」を演じることで仕事が進む可能性って高い。「仕事は会社か家でやれ」っていう道理は間違ってないけど、会社でやるより、家でやるより、スタバの方がなんとなくモチベーションが上がる気がする。モチベーションが上がれば、もちろんその分仕事効率だって上がるはず。

おそらく本当に「意識の高い人」って会社とか家とかでもしっかりと向上心や責任感を持って仕事できるのかもしれない。でも人間みんなそうじゃないし、いつもそうって訳でもない。イヤな仕事を押し付けられることだってあるし、疲れてもう寝たいなって時だってきっとある。そういう時にやる気の起爆剤として「オシャレなカフェで仕事をする自分」を演じるという方法は、むしろ効率的と言えるし、実際に仕事が出来ているなら中身が伴っているんじゃないかな。

 

確かに人のこと考えないで、混んでいる店内でずっと居座って仕事をしているなんていうのは迷惑だと思う。でも喫茶店って本来そういう所じゃない?とも思う。

純粋に食事を楽しんで終わる人ももちろん居るかも知れないけど、寛ぎたくて来ている人、勉強をしたい人、仕事をしたい人、誰かと話したくて来ている人...。

きっと見渡せばたくさんの人がいるし、その人たちがみんな後続のお客さんのご迷惑になってるかって言ったら、ちょっと暴論かなぁって思う。

(まぁ個人的にはスタバは喫茶店ではないと思っているけどね。あれは完全にタピオカ屋さんとかと同じ括りで見てるから、スタバで仕事することのステータスとかは全くわからないけど。)

 

オシャレな店、服、アクセサリー、どれも全て自分の中身を上げるためにあると思ってるから、確かにブランドだけに縛られて釣られて動いている人を見ると少し悲しくなる。収集癖というか、持つことや行くことが全てだと思っている人。

でも持った(行った)ことによって(たとえブランドに依存していたとしても)それでヤル気が上がるならいいのでは?というのが持論です。以上!