徒然。

理想と現実と

無題

有名人が自殺したというニュースを目にして、心が何となくナイーブな時期だからなのか、本当に「なんか知ってる」程度の人なのにかなり心を揺さぶられているので、ここに色々吐き出して落ち着かせようと思う。

もちろんこのブログも誰かの心を悪い意味で揺さぶってしまう可能性があるので、見る人は存分に気を付けて見てほしい。

 

 

まず、タイムラインで突然その情報が流れてきたのを知って、さすがに顔も名前もわかる人だったし、その人をかっこいいと言う人も中高時代周りにに居たのでかなりびっくりしてトレンドに入っている彼の名前をタップして、様々な人の投稿を目にして思ったことは、Twitterに投稿したこの言葉になる。

f:id:not6but7:20200731020257j:image

「死んだ人間の言葉を借りて」云々についてはこういうツイートのことだ。

f:id:not6but7:20200718231210j:image

このツイートが引用している三浦春馬の言葉は以下の通り

f:id:not6but7:20200718231254j:image

確かにSNSの誹謗中傷問題は深刻だ。人を殺す感覚を感じない使い捨てできる銃を、倫理観の有無にかかわらずたくさんの人が持っている状態なのだから。でも、亡くなった途端多くの人が三浦春馬のツイートを用いて「誹謗中傷良くない」って言い出すのには寒気がした。亡くなった途端、その人が発信した切実な言葉は他人が自分の"おキレイな"意見を言うための道具に成り下がるのか。なんか納得いかない。まずそれでモヤモヤした。

 

それから、自殺ということに関連して悪い意味で印象に残ってるのが高校の時の「いのちの授業(笑)」で、とにかく最悪だったので話題の関連ということもあってさっきぼんやりと思い出していた。

まずはじめに、担任が生徒に対して「なぜいのちは大切なんですか?」と問いかける。

もうこの時点で質問の意図がわからない。1つしかないから、以外に答えあんのか。いや本当にそれ言ったら笑うな〜。とかイライラして思いながら黙ってたらクラスメイトが指名されて、その人も色々戸惑いながら「亡くなったら悲しいから?」と答えた。

高校生で、特に壮絶な人生を送っていなければこの答えが出るのは妥当だろうと思う。私はしっかりと答えたその人には拍手を送りたい。ただ問題はここから先で、先生がその答えを肯定するのはまぁ、そもそも"答え"なんて無いので良いとして、あろうことかその答えをその授業の結論にしたんだ。

もうビックリして言葉が出なかった。誰にも悲しんでもらえないなら人は死んでも構わないって言ってんのと同じだぞって。高校生が一意見としていうならまだしもお前がそれを結論に持ってきちゃダメだろって。

そもそも問いからして狂ってると思う。というか自殺抑止という名で蔓延る世の中のメッセージ全般が狂ってる。どうしていつも「自殺する主体」に投げかける言葉ばかりなんだろう。自殺したい人へ投げかける言葉は「命大事に」なんかじゃなくて「辛かったのによく頑張ったね」の言葉だ。

「なぜ命が大切か」なんて私は未だに答えを出せないよ。だけど少なくとも今私は自分の命を大切だと思ってる。それは誰かに頼られているからとか好かれているからとかそういう事じゃなくて、辛いこともあるけどそれなりに自分で自分を気に入って大事に思えてるから。

自殺する時って、「自分で自分を大切に思えなくなっちゃった時」なんじゃないのかな。だから「なぜ命は大切か」って問いは最悪なんだ。だって自殺寸前のメンタルを持ってる人にとってはそもそも「命=大切」の図式が成り立ってないんだから。さらにその結論が「亡くなったら悲しいから」???特にいじめによる自殺を助長する発言でしかない。

 

私は自殺というトピックに対して、焦点を「自殺する人」じゃなくて「その周りの人」に当てるべきだと思う。というのは、「自分の命を大切にしましょう」じゃなくて、「他人の命を大切にしましょう」を全面に押し出すべきだということ。もし自分が自分の命を大切に思えなくなっても、それを他人が気付いてあげられるなら防げる自殺もあるんじゃないのかな。

「相談してください」じゃなく、「相談してもらえる人間/機関になりなさい」じゃないのかな。

弱っている人に最期まで「いのちは大切」とか自分の当たり前を押し付ける社会でなく、弱っているひとが縋れる藁の沢山ある社会を、少なくとも自分の周りでは心がけていきたいな。縋れる藁になりたいな。そう思います。