徒然。

理想と現実と

情緒は不安定なもの

私は情緒というものをとても大切にしている。

普段脳みそを欠片も使ってないようなツイートばかりしておいてこんなことを言うのもはばかられるけど、言葉というものの重みをよくわかっているつもりだ。(もちろん頭で理解してるだけで実際は軽はずみな発言ばかりしてしまう)

私がどれだけ情緒を重んじているかは、江國香織の言葉集を見たりいいちこのポスターを見たりすれば少しは共感して貰えると思う。少ない言葉でその言葉を発した人の背景を説明してしまうような、そんな間合いの取り方が大好きなのだ。江國香織の書く人物は物語のために現れた訳じゃなくてあくまでその人の生活の一部分を切り取ったかのように描かれるし、いいちこのポスターは常にその景色を見ている人の人柄、経験、人生を思わせるかのよう。他にも持田あき先生の『スイートソロウ』という漫画は揺れ動く複雑な心情をひとまとめにしないような言葉でありふれていてとても好きだ。

 

最近、「情緒がない」と思った出来事があった。皆さんお気づきだろうが、件のワニである。ワニの商品化の宣伝云々についての情緒のなさに関しては色々既に言われていることなので改めて私がここで述べる必要も無いと思う。余韻が必要だったという意見に賛成だし、色々な告知を出すタイミングを大幅に誤ったと思う。

私が言いたいのは本編に関する情緒のなさだ。1~99日目まで何気ない日常の「単純明快な」「4コマ漫画」というスタイルでずっと貫き通していながら100日目で急に「意味不明な」「4ページ漫画」と化したその一貫性のなさにまず驚く。100日目で非日常=死は予定調和なので問題としない(死も日常として描かれていたのにワニが死ぬ時だけ非日常感が出てるのは如何なものかという気持ちも無くはないがそれは主人公補正がかかって然るべきなので今は論じない)。非日常を表すためにそうしたのかもしれないが、それは「明日は我が身」「死は日常の中にある」という、読者が受け取っているメッセージと酷く矛盾する。死を非日常と定義するなら、日常を100日も続ける意味が無い。冗長すぎる。むしろ死という非日常から始まる物語でも良かったはずだ。

話を戻そう。まず「意味不明」なのが1番問題だ。色々考察する人が「謎解き」をしてしっくりくる解釈が出てきているのだが、なぜ100日目だけそのスタイルにしたのか。もちろん今までだって考察班はいくらでも居たが、彼らはただアイテム(出てくるもの全ての総称)に対して過剰に反応しているだけに過ぎなかった。少なくとも結論が出ていない状態では。しかし100日目は考察する人がいないと読み取れない人が出てくる始末だ。「結局なんで死んだの?」「ここの描写ってどういうこと?」という声も少なくなかった。

そしてアレだけぼかしといて真相は交通事故だったという結論も情緒がない。もっと捻れよと思う。一瞬で命が奪われる怖さ、100日までに体感している死の直前のヒヤヒヤ感(ねずみくんやヒヨコ、人相の悪い犬などが登場した時に描かれた描写)と近いものを全く描いていない。これじゃ瀕死と即死の対比構造が出来上がらない。ただワニはなんとなく死んだだけだ。99日まで「ワニは自分自身なんだ」と錯覚させるようなリアルな日常の描写であるのに事故シーンだけ抽象的で非リアルなのはどうなのか。せめて血を流しながら眠るように死ぬワニの上に桜の花びらが降り注ぐ描写ぐらい書いても良かったのではないか。遠くで鳴り響くサイレン、それを耳に入れるねずみくん、くらいの描写が入れば登場人物たちのその後もなんとなく想像が着くし何より読者の中でしっかりとワニが死ぬ。まぁこれは全て素人の戯言なので無視して良い。

結局商売やコンテンツへの挑戦という観点を無視して「100日続けること」になにか意味があったかと問うて明確な答えが返ってくるような作品ではなかった。大切なシーンとそうでないシーンを仕分けして大切なシーンだけ繋いで50日で死ぬワニにしても良さそうだ。事実1週間ほどで結構話題になっていたし、50日でも全然足りたと思う。

 

あとは作者の友人のエピソードを持ってくるあたり興醒めだ。死んだ友人を使って金儲けかよという感情もあるが、それ以上に私は人の死を使って「生きるって大切だ」という人間が大嫌いだから、めちゃくちゃ嫌いになった。前から好意は無かったけれど。

ワニを使って「生きること」を諭すなら気持ち悪いがまぁそれが言いたい事だったんだろうと納得行く。それは自分の作品で自分が言いたいことを伝えているからだ。でも自分の友人をモチーフにしたとなると全く話は違ってくる。死んだ友人を作品内でもう一度殺して教訓めいた歌とともに追悼POP UP SHOPだ。吐き気がする。有り得ない。

死ぬこと、生きること、に関しては数え切れないほど多くの作家が対峙して作品にしてきた。そして私はあまりにも物語の教養がないので私の知っている範囲での話をすれば、例えば『死化粧師』という漫画は「死の美しさ」をテーマにしていて暗に死を悪としていない。『うせもの宿』という漫画は死人の遺品という切り口で、登場人物が死に納得する様子を丁寧に描いている。アニメなら『つみきの家』はたった数分で日常とそれを失ってもなお生きることを描き切る。小説で言うなら浅田次郎の短編集はオススメ、特に『鉄道員』。

などなど、知識が薄い中でも「生きるとは何なのか」を考えさせられる作品というものは多く思い浮かぶ。

さて、はたしてそれがワニにあったか。「生きることって大切」で思考停止してないか。ワニのように友人や恋人に恵まれない人間の命は大切か。大衆にメッセージ性を持って流したいのなら100日間でもっと濃いものを作れなかったのか。ただ日常を描いて突然訪れる非日常で死、はい終わり、死って怖いね〜命大事にしたいね〜ってか?バカにしてんの?やば、ヒートアップしそう、やめよう。

 

1番気に食わないのはこの作品を評価してる人間がマジョリティだってこと。端的に言えばマイノリティの僻みだ。価値観の違いだ。

私が物語に向き合う時は常に情緒を重んじているわけだけど、オチのある教訓めいた作品の方がもてはやされる世の中かと思うと、憂世だなぁと思う。もっと一言では表せないような、葛藤していてそのどちらとも言えない状況が最善と言えるような、そんな奥行きのある作品が流行ればいいのになぁと。私は今まで通りマイノリティを掘り進めていくけれど、少しでもその良さを皆さんに伝えられたらいいなあ。そのために言葉はあるから。

『きらきらひかる』なみだをだして

「変わらないもの」は大切だ。何もかも変わってしまったらそれは私でなくなってしまう。けれど同時に、それは「変わるもの」が多いからこそ、そして私がそれを受け入れているからこそ、その中で不変のものーー普遍では無いかもしれないけれどーーを大事にするのだ。

私たちは普段、変わることを恐れない。私たちは当たり前のように四つん這いの赤ん坊から二足歩行になり、言葉を喋るようになり、親と喧嘩して、仲直りして、自分でものを考えるようになって、環境が変わるごとに変化する交友関係すら、変わる時には少しさみしいと思いながら、それでも期待と不安を胸に抱いてーー入学式の定番フレーズだ、気に食わないーー変化へと身を投じていく。

 

それはでもやっぱり、その人にとって変化が当たり前だからなのだ。変化することが普通で、何も変わりない人を見かけるとちょっと不安になる、普通の人達の常識。

睦月と笑子は、そんな"普通"の人たちに囲まれて雁字搦めになって変化を余儀なく要求されてしまう、変化を望まない人達だ。周りは彼らに対して"あたりまえ"のことを要求する。夫婦の"あたりまえ"と言ったらひとつしかなくて、それは子供だ。『きらきらひかる』は、ちょっと"おかしい"夫婦に対して、"普通"の人達が"普通"を要求する、具体的にいえば「子供はまだなの?」と言い続ける、言ってしまえばただそれだけの小説で、展開も何もない。展開がなくて当たり前だ。なぜなら彼らは変化を望んでない。変わらない日々を守るためにただただ困り、情緒不安定になり、鬱になり、なだめ、躁になり、お酒を飲み、泣き叫び、手を焼き、嘘をつき、考え、金魚のタイムをはかる。

「どうしてこのままじゃいけないのかしら。このままでこんなに自然なのに」と、笑子は言う。たったこれだけの言葉に私は泣く。どうしてなんだろうね、なんでなんだろうね、と読んでるだけなのに途方に暮れながら。

睦月は恋人の紺くんを好きだけど、ちゃんと妻の笑子を愛していて、笑子は睦月をしっかり愛してる。多分きっと2人ともお互いに恋をしていたし、愛情が溢れている描写が節々に表れているのに、変化が怖くて"普通"の夫婦がこなしているあれやこれやができない。愛があればなんでも出来るなんて嘘だ。愛だけじゃどうにもならないことが沢山ある。

 

この小説は1991年に書かれたらしい。今から30年も前に、同性愛者と躁鬱病を見事に描ききった江國香織は、やはりどこか変わっていたのだろう。あとがきにはこう書かれている。

「素直にいえば、恋をしたり信じあったりするのは無謀なことだと思います。どう考えたって蛮勇です。

それでもそれをやってしまう、たくさんの向こう見ずな人々に、この本を読んでいただけたら嬉しいです。」

Have to do と Want to do

最近色々思うことがあって、短い文字数じゃまとまらない気がするのでこちらに書こうかなって。

これからここに書くことは、人に言いたいことでもあるし、自分への自戒でもあること。誰を責めるわけでもないけど、現状を肯定するわけでもないこと。

あくまで私の意見なので、これが絶対って訳では無いけど、いろいろ紆余曲折した上で現時点の終着点として思ったこと。内容自体はとても偉そうに思えるかもしれないけど、自分自身全然それが出来ていないこと。

 

今の世の中、いわゆる人生のレールみたいなものは昔に比べると徐々に薄れてきて、私たちの選択肢は格段に増えた。やりたいことを見つけてそれに打ち込める環境が、社会の価値観が変化することによって整ってきている。

だからといって、完全に自由かと言われればそんなことはない。義務というものは憲法によって規定されているし、義務まで行かずともやる必要のあることは多い。勉強なんていうのは最たるもんだ。中学までは義務として定められているし、そこから先もそれなりに生きていくにはある程度の勉強が必要だ。

ただ今からする話は、多くの人間が生きていくために必要な「やるべきこと」の話(勉強やら仕事やら)ではなく、生きていくために必要ではないものの、自由な選択肢の中で必要になってくるものについての話。

 

やりたいことをやるっていうのはとても楽しい。好きなことをやってる時はとっても幸せ。だけどずっとずっと幸せなわけじゃない。ゲームだって古文書だってジャズだって、全部全部そう。

ゲームで例えるなら、何か倒さなきゃいけない敵が居たとして、ぴゃっと倒せればいいんだけどこちらのレベルは弱いからキャラを集めてレベリングしていかなきゃいけない。本当は物語を進めたいのにやってるのは物語の進行とはさほど関係ない雑魚キャラの処理。(ちなみに私はこれが面倒でいつも気付いたらゲームを投げている。)

こんな風に、ゲームひとつでもやりたいことを達成するためにやらなきゃいけないことが絶対についてくる。やりたいことだけやるわけにはいかない。大抵のことはそう。どんなにやりたいことがあったってそれをやるためにはやりたくないのにやらなきゃいけないことばかり。

そしてこんな風に冗長な平仮名で延々と書くのは読む側として混乱するので漢字で表そう。「やらなきゃいけないこと」は「基本」で、「やりたいこと」は「発展」って置き換えるのがおそらく妥当だろう。

 

基本と発展の釣り合いって本当に難しい。基本がなきゃ発展には辿り着けない。だけど、一方で発展形が見えてない人、つまりやりたいことがない人にはやるべきこと、つまり基本が見えてこない。見えてこないからイマイチ熱を持って出来ない。

基本と発展って順序的には基本→発展のように思えるけど実は逆で、発展、つまり目標が見えた上で基本を積んでいかないとなんの意味もないことになってしまう。

 

最初から目標が用意されているものは良い。それに向かって基本をこなせばいいだけだから。難しいのは、何も用意されていなくて着の身着のままその世界に飛び込んでやりたいことを模索すること。

イクラで例えるとわかりやすいかな。明確な目標なんかなくて、とりあえず木とか倒しながら色んなものを作っていく。マイクラの中でも最初から「○○を作りたい」って決まってる人と、なんもわからなくてとりあえず始めてやってるうちに面白いことややりたいことを見つけていく人がいる。でもそれはあくまでマイクラをプレイ出来る環境が与えられて初めて出来ること。

 

……遠回しに言うのも面倒になってきたので直球に言います。

私は最初からそれなりに明確な目標を持ってジャズ研に入ったしその目標は未だにほとんど変わってない。1年〜2年の夏頃まではハードバップなんかやらずにとにかくやりたいことを押し進めていくのが目標に近づく一番の近道だと思ってたし、やりたいことだけやる方が楽だったし楽しかった。やりたくないことをやらされるのは苦痛だったし意味が無いと思ってた。だけどいつまで経っても全然上手くならないし幅も広がらない。なんでか色々考えた結果、ほかの人たちに比べて圧倒的に見てる世界が狭いことに気づいた。気付いてからはなるべくこうした方がいいみたいな意見は聞くようにしたし、やりたくないのに半強制的にやらされてたことがやりたいこととリンクしてることに気付いたし、やれるものの幅も広がってて無理だなって諦めることが減った。嫌いな音源もマストと言われてるものは1回だけでも聞くようにした(未だにどうしても無理なものはアルバムの途中でリタイアしてしまうんだけど)。

そして自分が割とこういうスパルタな環境で育って、しかもそれがそれなりに有用だと気付いてしまったので、今の状況はちょっと甘すぎないかという気持ちがしている。やりたいことが見つからないなら見つかるまで基礎を積み上げればいい。それでも見つからないなら無理に居続けなくていい。

やりたいことがあることは大事だけれど、そればっかりやってたら大して成長しないしそればっかりやることは全然近道じゃない。むしろやりたくない事やる方が近道。できない事も課題も見つけられるし、それはやりたいことをやるために足りない事で、やりたいことばっかやってたら見えなかったものだから。

私が上手いと思うジャズ研の人はみんな本当に基礎からやってる。今全然違うジャンルのジャズやってる人ですら。だから私も基礎をやらなきゃってとっても焦ってる。この焦りをみんなには味わって欲しくないからずっとしつこくコピーしろバップ聞けやれって言ってきた。自戒って最初に言ったのはこれ。

 

冬合宿、ただ「やりたい」だけじゃなくて、どうせならやりたくないことをとことんやって欲しい。私も1バンドしかなくて結構時間があるのでいつも避け続けてた地道で嫌な練習をひたすらやろうと思ってる。

あと、老害蛇足アドバイスとして、やりたいことやるのはある程度上手くなった方が絶対に楽しいです。出来ないことが減るから(無くなるとは言ってない)。

 

みんなが表面上だけじゃなくて、心からジャズ愛せる合宿になるといいな!

この一年、ほんとうはいろいろなことがあった。

この一年、ほんとうはいろいろなことがあった。でもそれは指で砂をすくうみたいに、すくうそばからこぼれていき、あってもなくてもおなじことに思える。日常というのはそういうものなのかもしれない、と、最近は考えるようになった。

江國香織「どこでもない場所」(『号泣する準備はできていた』)

 

今年1年間は本当にこの言葉が良く似合う年だった。数え切れないほど沢山の出来事があって、楽しくて幸せでたまにつらくて、その時々でいつも強い感情を抱いていたのに、過ぎ去ってしまうと断片しか思い出せない。そんな1年だった。

その中でも自分を明確に変えてくれたものを3つ、忘れないうちにここに書き留めておこうかな。

 

ひとつめは、勉強面において。

今年は特にあらゆる知識が繋がる1年だった。1年生の頃興味本位でとった言語学の授業の教科書を社会学のレポートを出す時に使ったり、江戸時代の障害者について調べている時に参院選障碍者の方が当選したり、疋田先生の授業で扱われた内容が浅野先生の授業で扱われていたり(これは今年に限った話ではないけど)、あとは全体的に「倫理」というものに関してとても考えた1年だったな。一見何も関係ないような知識が繋がる時って本当に楽しくて、勉強について必要不必要で語ってる人が馬鹿みたいだと思えてきちゃうよね。結局知識はあればあるほど楽しい。勉強の面白さと、自分の不勉強さを再認識した1年でした。

 

ふたつめは、音楽面において。

まずは3年間ジャズというものをやってきて、入った頃から、いや入る前から好きだった人たちをまだ一番好きで居られることにやっと自信を持てるようになった。Chet BakerCurtis Fullerもあまり一般受けはしない人達で、去年まではもっと色んな人を聞かなきゃ聞かなきゃってそっちの気持ちの方が強くて、好きだってことは自信を持って言えてたけど好きな自分には自信を持てなかった。

だけどやっぱり他の人より全然好きで、沢山聞いて色々コピーもして(出せるようにはまだなってないけど)、Key-cockoという場でカーティスのソロをできるだけリスペクトしたソロを吹いたり、チェットの私が感じる魅力を全部敷きつめたアレンジで曲を吹いたりして、それを良かったというふうに何人もの人から褒めてもらえて、やっと「ああ、好きでよかったんだ」って安心できた。あとは他の人の素敵な演奏も沢山聞けて、好きなものを極めると自ずと自分らしさも出るんだなって強く感じて、悩みが吹っ飛んだ。

来年はもっとスタイルを確立させて「これが私のやりたかったこと!」を何も喋らずにわかってもらえるくらい、もっとのめり込みたいな。コンテンポラリー系も含めて。

 

みっつめは、人間関係において。

今年はたくさんの人と色々なところに行った。挙げていけばキリがないんだけど、観光、ライブ、飲み、遊び、セッション、たくさんたくさん、本当に沢山、色んなことをして、色んなものを見て、色んな話をして、幸せでした。

高校生の頃はまず誰かと遊びに行くなんてことなくって、いつも家と学校の往復だけで、遊びに行くとしても1人で。そんな私が数え切れないほどの人と数え切れないほどの予定を立てるなんて、本当に有り得なかったんだよ。特にサークルの人たちには感謝しかない。今も初日の出見に電車の中にいる訳なんだけど、こんな大晦日正月の過ごし方初めて!素敵な年になる予感しかしないね。

今年私と予定を立ててくださった方々、本当にどの時間も楽しかった。こんな幸せなこと無かった。ありがとうございました。

 

取り留めのない日常がこれでもかっていうくらい幸せな、良い年になりました。来年は毎日が幸せな、さらにいい年になるといいな!

信頼関係築くの難しい

長くなってしまうし半分愚痴みたいになっちゃうのでこっちに書きなぐっていきたい。

まず前提として、私はバイトを掛け持ちしていて、1つは個別指導、もう1つがチューターみたいな仕事で、学校に赴いて放課後生徒の自習のサポートみたいなやつ(以下チューターバイト)。

で、今日もチューターバイトの方で、いつも行ってる学校とは違う学校に代講で入って、ほぼ勉強を教えることはせず、生徒たちの雑談に付き合ってました。というところから愚痴に入っていきたいんだけど。

 

チューターバイトの会社は「雑談も信頼関係のうち」という考えのもと、完全に否定しないでむしろそこで人間関係をより良くして最終的に勉強の相談に乗れるくらいの信頼を築きましょう、という信念を持っていて、この考え方には私も同意する部分がある。やっぱりナイーブな相談ってある程度信頼関係がないと出来ないからね。

ただ、私はこの「信頼関係」について、必ずしも雑談から築けるものではないと思うんだ。確かに関係をある程度築けた人には自然と雑談をこぼすようにはなるしそこからさらに関係って深まっていくとは思うんだ。でもね、間違えちゃいけないのは私は関係を深めるためにこのバイトをしてる訳じゃなくてあくまで勉強を教えるために働いてるの。勉強面で信用できる人って雑談を沢山した人?違うよね。たくさん教えてくれる人だよね。+‪αで人間として仲良くしている人の方が教わりやすいってだけで。

わからないところがあればいつも来てくれて、教えてくれて、私はそういう人にこそ教わりたい。雑談が楽しい人よりも、雑談を諌めて私のためにやるべき事に意識を向けてくれる人に私は教わりたいよ。

もう1つの個別指導の方はただ勉強を教えてるだけだけど、雑談多めのチューターバイトの生徒よりもよっぽど生徒と信頼関係築けていると感じるよ。雑談なんてそんなにした記憶ないけどちゃんと好いてくれてる実感があるよ。教える仕事ってそういうことじゃないの。ガチで生徒に向き合うってそういうことじゃないの。雑談の延長としての勉強指導なんて間違ってる。逆だよ、勉強の延長としての雑談だよ。

 

まぁ私がコミュ障だから雑談きらいってのもあるんだけどね。でもやっぱり自分自身を出すって最初の段階でやることじゃないと思うんだよなぁ、、それって自分を安売りしているみたいでしょ。

なんかまとまんないや、とにかくビジネスライクで生きたい。人間らしさなんて真剣にビジネスやってりゃ出てくるよね。ロボットじゃないんだからさ。

迷惑メールのストーリー性に関する考察

スマホにしてからというもの、こまめで大事な連絡はLINEを通して来るし、今メールがしっかり動いてるのはバイト先からの連絡とゼミぐらいかなぁというレベルなので、「迷惑メールが大量にくるからドメイン拒否とかメアド変更とかをする」という文化が廃れた。まとめて削除とかもスイスイできちゃうからね。

それで最近よく来る迷惑メールが2種類あって、ひとつは「お客様窓口」って名前で来るメール、もうひとつはつい最近畳み掛けるように来た「EXILEのTAKAHIRO」を装った迷惑メールで、これがまた面白くって、なので全貌を紹介します。

何が面白いって1回来ただけじゃ何いってんのかわかんなくて、数回送られてくるのが前提というか、数回送られてきて初めてコンテクスト(自分がどの立場でどういう状況で送られてきたと仮定したメールなのか)が見えてくるんだよね。

 

まずは1通目。

11/22 9:14

件名:ご結婚おめでとう御座います!

本文:

近々アツシさんと一緒にお祝いをしたいので
空いてる日教えて頂けたら嬉しいです
必ずスケジュール合わせます☆

タカヒロ

 

急にタカヒロから結婚お祝いされちゃった。ありがとうございます(?)これはいかにもな迷惑メールで微笑ましいというか、まぁよほどEXILEに関して盲目的になってしまう人でなければ引っかからなそうなやつね。

 

2通目。

11/22 10:14

件名:タカヒロです^^お忙しいですよね?

本文:

忙しいのに、ごめんなさい
アツシさんが日にちどうなったって言うので…
催促するような形になってしまいますが、
お時間出来ましたら空いてる日の連絡下さい♪

 

1時間でスケジューリング催促する超短気ATSUSHIなのか今まで連絡するのを忘れてて慌ててしてきたTAKAHIROなのか。いずれにせよ人間味が感じられて良い。

 

3通目。

2019/11/22 11:14

件名:度々、すみません!斉藤さんの携帯ですよね?

本文:

先日のお食事会でアドレス変わったからと
教えて頂いたアドにメールしてるんですけど…
この携帯、タクミさんの携帯で間違いないですか?

 

来た!これは本格的に返信させようと攻撃を仕掛けてきてる。「すみませんけど間違ってますよ」的なメールを期待している。返信した日にはもうカモですよこれ。しかも今まで私の結婚を祝ってくれてると思ってたんだけどここで初めて「斉藤さんの結婚祝おうとして間違えてこちらにメールを送ってきていた」という設定が明らかに。さあさあ盛り上がって参りました。

ところでEXILEのこと知らないけどさいとうたくみってEXILEじゃないよね?斎藤工

 

4通目

2019/11/22 12:24

件名:極秘結婚との事なので、警戒してます?

本文:

俺はマスコミなんかじゃないですよ(笑)
極秘結婚なので警戒しちゃうのはわかりますけど
いつもお世話になってるタカヒロです♪
タクミさん!メール待ってますからね!

 

これまたハイコンテクストなメールが来た。3通目では返信が無い→俺が間違えてる...?と不安を持っていたTAKAHIROが、1時間10分後には「俺が間違えてるのではなく、向こうが間違えているのではないか」と解釈した模様。いや間違えてんだよ君が。もはや返信工作は3通目がピークで、ここからは物語性を重視し始めているような感じもある。

無論これだけ送っても意味がないので、1~3通目がないと成り立たないメール。もはや連続ケータイ小説。素晴らしい。

 

5通目

2019/11/23 8:14

件名:本当に心配ですこの連絡、遅延してるのかな?

本文:

よくわからないけど…
メールが遅延してて、俺からの連絡は携帯に届いてないのかな?
こんなに連絡がないと、違う人に連絡してるような気がしちゃいます…。
俺。。。間違ってメールしちゃってないですよね?
凄く不安になってきちゃいました…

 

しばらく来ないので少し寂しく思いつつ安心してたら、翌朝!来ました!「メールが遅延」のパワーワード感すごいな。通勤ラッシュの時間だから電車の遅延と掛けてんのかな。え?粋すぎでは。これも3通目と同じで明らかに返信してこいと言ってきてる。しかも3通目よりめちゃくちゃ不安がってる。もはや可哀想になってきた。でもごめんね、迷惑メールなので無視です。

 

6通目(ラスト)

2019/11/23 9:15

件名:タカヒロです!アツシさんに事情を話して

本文:

連絡しても返事が来ないので
返事来たら結婚祝いの話を進めようという形になりました!
なので、今色々と忙しいとは思いますが
連絡できるようになったら、都合良い日を教えて下さいね^^
待ってますから!

 

ラスト感の漂う文面。実際にラストだった。私が返信するまで斎藤工の結婚パーティーは無いらしい。ごめんね斎藤工。しかしATSUSHIとTAKAHIROってめっちゃ相棒だと思ってたんだけど、この一連のメールから漂うTAKAHIROの下っ端感半端ないな。ATSUSHIが直接メールしてこいよ。

迷惑メール業者もただ諦めるわけにはいかなくて立つ鳥跡を濁さず的に去っていった感が受け取れる。非常に好印象。

しかし1回迷惑メールフォルダに入れたにも関わらず毎回ちょっとずつメアドを変えて送ってくるのでその度に迷惑メールフォルダに入れなきゃいけなくて面倒でした。そこまでして届けたいというなにかの執念を感じた。

 

こういうストーリー性のある迷惑メールは、迷惑だけど少し面白いので良いですね。詐欺師先生の次回作にご期待下さい!

夢の浮橋

キーコッコの余韻が全然冷めやらないので徒然に書き連ねていきたい。

本当はMCで言いたかったことが沢山あって。あんだけ喋ってても全然物足りないくらい色々あったの。だからセトリ順で色々書いてく。

 

①My Funny Valentine

MCでも言った通り、100年先でも自信を持って「世界中の音楽の中で一番好きな曲だ」と言えてしまうくらい好きな曲。それもChet Bakerのテイクが。

Chet Bakerのこともみなさんご存知の通り本当に好き。どのくらい好きかって、「Chet Bakerが亡くなってて良かった」と思えてしまうくらい。生きてたら私今頃あの人のことを追いかけてアメリカでもイタリアでもどこへでも行ってしまうし、同じタバコ、同じドラッグを吸ってしまっていたかもしれない。本当にそのくらい好きなの。

そのくらい好きな人が好きな歌を私も好きでずっとずっとやりたかったし、やるならあのメンバーとでしか有り得ないと思った。別にみんなバラードが好きとかChet Bakerが好きとかでは全然ないけど、私のやりたいこと全部反映してくれるのはあのバックの人達だけだと思ったから、メンバーが決まった時点でやることを決めた曲でした。

ベースラインもほぼ完コピさせたし(本当にごめん、理想どおりの最高のラインでした)、終わり方も「普通のバラード」っぽくない要求して叶えてもらった。倍テンの位置やソロの位置も「普通のバラード」にだけはしたくなくてこだわって決めた。

Chet BakerのたくさんのテイクをRemixしてアレンジした私のMy Funny Valentineでした。

OBさんや先輩からも「My Funny Valentineめちゃくちゃ良かった」ってたくさん言ってもらえて本当に嬉しかった。でも本当はもっといいソロ吹きたかったのでそこが悔しい。悔しさをバネにもう1回、もあるかもしれないけど、今のところもう一生本番でやろうとは思ってない。ほかの人たちとこれ以上いい演奏をできる気がしないので。

とても大切な思い出になりました。感謝しかない。

 

②Coming Home

この曲の説明を大幅に省いてしまったんだけど、これピアノの人が出してくれた曲なのよね。私が出した訳じゃなくて。でももともとJustin Kauflinもこの曲もめちゃくちゃ好きだったし、ほかのメンバーもすぐ「やりたい」と言ってくれて、やることが即決まった曲です。

ただ、正直難しすぎて途中で変えようか迷った。そもそも音源ギターカルテットだからトロンボーンで合うかもわかんないし...というふうに。でも結果、やって良かったなーって思ってます。

これ自己肯定感低すぎなのかもしれないけど、バックの人達が本当に素晴らしすぎて、なんならトリオでやる枠1個作ってもいいんじゃ...?って思ってたくらい自分いらないなーと思ってて、その中であの素敵なバックの人達の良さを全面に出せる曲ってこれくらいしかないなーって。今回やった4曲の中だとダントツでコンテンだし。本当にやって良かった。

 

③Peri's Scope

ずっとずっと好きだった曲。でも最初からやる予定じゃなくて、もともとStella By Starlightを3拍子でやる予定だったんだけど、最初のバンド練で「なんか違うなー」ってなって、なんかいい曲ないかなってすたぼんペラペラしてたらたまたま目にスっと入ってきた曲。「んーこれ微妙。んーーこれ違うな〜〜」ってやってる中でスっと「これじゃん」ってなった曲。しかもこれにしたおかげでセトリが一気にバチッとハマった。

さらにこの曲に決まって次のバンド練で既にキメが一発で合うっていう。何の心配も要らなかった。すごいの本当に。

Bill EvansChet Bakerと同じで高校生からずっと好きだったアーティストで、私の性癖グイグイ歪めてった人なので、今回やれて良かった。

 

④K-4 Pacific

これは割と最近好きになった曲なんだけど、ドラムの人にこの曲キーコッコでやりたいと思ってるって言ったら「これやるならバンド乗りたい」と言ってくれて、それがきっかけであのバンドでまた出ることになった、という曲です。まぁもともと今年も組む予定ではあったんだけど、後押しになったよね。

3拍子が好き、変拍子も好き、モードが好き、という私にとってもう最高の曲でした。全然出来なかったけど!全然出来なかったけど!!!悔しい。でも最高なピアノソロとドラムオープンが聞けたのでそれは嬉しかったな。

去年もこのバンドでImpressionsやって本当にボロボロで、今年こそモーダルでアップテンポなソロ吹けるようになるって頑張ったけどやっぱり難しかった。ただでさえ速いの苦手なので余計に。悔しいな〜でもモードの曲は世の中に溢れているので卒業までにガンガン吹けるようになりたいな。自分の今1番の目標かもしれない。

 

ほかにも3管楽しかったとか、1年バンドで全然基礎が身についてないことがわかったのでど反省とか色々あるけど、やっぱ自分のリーダーが1番力入れてたし1番好きなセトリだったからそればっかり書いちゃうね。

もうあのメンバーとやるの無いんだなーってすごく虚脱感がすごい(日本語)から新しいバンドとか今あんまり考えられないけど、やっぱりカルテットという編成が好きな以上ちゃんとしっかり考えていかなきゃなーって思う。同時にライトに色々な人とバンド組んでみたいなーとも思ってるので合宿とかの機会かな。

 

キーコッコ本当に楽しかった!!切り替えていく人がそろそろ増えてきていると思うけど私はもう少しロスを楽しむことにします。